ボールは丸い

少し、旅をしています♪ 直感と好奇心とお酒と世界中の友達と

テストの苦しさ

テスト期間のことをもう一度振り返りたいと思います。テスト期間に感じていたことは沢山あって、綴りたかったのだけど、これで単位をとれなかったらダサすぎるので、書けない。という変な呪いにかかっていたため、見送っておりました。

結果的には全部のテストでパス以上を取れたので、自信を持つこととします。

テストはそれぞれ3時間で、それぞれ単位の60、70%くらいを占める為、基本的にライティングをしなければいけないので、テスト前はこんなの絶対無理げーと思っていた。まず、英語で時間内に書けるなんて無理だからね!泣きそうになりながら帰ってきた日もあるし、英語でのアウトプットが本当にできず、授業でしゃべるのすら怖い、という思いがあった。

常にメンタルが崖にある感じで、うわ、もう落とすわ、人生終了、寝れない、みたいなときもあれば、あれ、余裕かも、っていう手持無沙汰になってるという感じの境地に入るときもあり。

学期が終わったのは嬉しかったが、テストのプレッシャーがどんどん降りかかってきて、イースターブレークというのはあってないようなもので、どれくらい休むかは人それぞれ、真面目具合次第。早速勉強に取り掛かっているインドネシアシスターズがいれば、ずーっと遊んでるアメリカ人もいるし、何もしないでユーチューブばっかりやってるやつもいた。

戦略としてはまず、1年(計22週間)で学んだ内容を理解し、自分のモノにすること。それから過去問を解いて傾向を見つけ、自分が書けるようにすること。この二段階。私は、時間で満足するタイプなので、たとえ集中力が低かったとしても、常に机に向かってないと気が済まない。だから他の勉強をしてみる、とか自分の気分に合わせて時間を効率よく使うようにした。

自分と毎日対話をして、向き合っていた。睡眠の質がよくなくて、頭がさえないときは、スーパーまで散歩して良い朝ごはんを手に入れたり、たまに走りに行ったり、散歩に行ったり、友達を食事にいったり。アビダにはいろんな息抜きに誘ってもらって、超感謝している。

あとは、あらゆる手段を使うこと。私は出来が本当によくないので、人に頼ってなんぼだと思っており、多少せこいことでもやらなければ単位なんて取れない。日本人の先輩にノートを沢山もらったのがまず最強にラッキーだったし、アドバイスもたくさんもらってたし、英語の先生と鬼仲になり3000時のエッセイすら見てもらえるようになったことや、TAのところに毎週通って仲良くなりスカイプで質問できるくらいになったと思うと、真っ向から勝負する以外の努力もしていたのだと思う。

毎日のメンタルは本当にきつくって、こんな晴れた綺麗な日に、私はなぜ家にいるのか。。。と毎日疑問に思い、落ちたら本当にどうしよう、って毎日考えるし、テスト終わったら人生最大に飲んで乱れよっと、と思っていた。家にいたら頭がパニックになるので、散歩がてらドーナツを買いに行ったら、居合わせたお兄さんが袋代を出してくれるというイケメンぶりで、心がウキウキになり、こわばってた顔が、帰り道には綻んでいると感じると、メンタルヘルスって大切って思う。頭ばかりじゃなくて心の運動ね。という日々。公園でリラックスしながら暗記物をするのもいい話。政治のテストの前日に公園いったら、アビちゃんにたまたまあって、親友っぷりを発揮。

ネイティブのクラスメイトでさえも相当つらかったらしいから、相当大変なコースなのです。。でも皆とやべーやべーっていいながら共有するのは心の支えでしたなあ。

でも、勉強の内容は面白かったりするので、プレッシャーすらなければ全然楽しい時間でもあった。Econの勉強、ちゃんと考えているせいか、頭疲れる。10時間持たない。経済は自分の為になる。面白い。勉強したい。できるようになりたい。わかるようになりたい。テストの為じゃない。とも思えた。これ何のために勉強してるんだろって1ミリも思わないからいいよね。スクールオブエコノミクスだし、ね。目的があって、興味があって勉強していれば、このプレッシャーは嫌でも、自分ここで何やってるんだろ、逃げたい、みたいなことにはならないので、つまり、努力をしているという感覚とはすこし違って、面白いことをすごいプレッシャーの中でやっている、感じ。イチローが努力なんてしていません、といっていたのが、わかる気がする。

そして、面白いのは、みんな、勉強ばっかりしてるから別の能力ついてきてる。勉強から逸れて何してるかの話題で盛り上がる才能ある民。 YouTubeとか曲探しとかクイズ作成とか占いとか。勉強しなくていい環境だったら絶対お前らやらないだろってことをね。。エコノメトリクスの式のどの項になるのかという占いは下らな過ぎて超おもしろい。

 

最初のテストの日は超快晴で、テストの始まりを皮肉にも祝っているようだった。エスプレッソは本当に頭がさえるので、いい感じのコーヒー屋さんで注入して、学校に向かう!!こんなに緊張したことはここ数年でないかもくらい。

ひとつ終わったとき、泣きそうなくらい嬉しいし、まじで安心した。アジアンチームでご飯に行ったが、ビールがうまかった。なめちゃだめだけど、なんとかなる気がする。緊張して死にそうだった昨日。頑張ろう。という気持ち、

エコノメトリクスはなぜか、ここに来て、流れている、この、この授業、実は、楽勝なんじゃないかという、この、謎の幻想。か、みんな頭良くなった。のか?!この複雑なデータ分析?!エコノメトリクスだよ?!という心境だった。それが終わったときは、もう30分前から終わるのが楽しみすぎてワクワクしてて、そのあとみんながなんにも言わずにpub に自然に流れて飲み始めるという変態さは大好き。そのあとガールズたちのナイトアウトして、本当に楽しかった。結局、テストもビールの味がうまくなるための道具かも。

 

テスト中は日本の歌にも励まされていたなあ。君という名の翼とか全力少年は最強の応援ソング!

テスト終わったときのあの解放感はなんとも言いがたい。勉強しにきたのに、勉強しなくていい瞬間がこんなに嬉しいなんて、頭おかしいんじゃないかという。ふわっふわの何もやることがない日々が不思議でしかたなかった。幸せ―。経済はとくに落ちてるかもしれないと思ったから、超不安だったけど、まあ考えても仕方ないよという父からの頼もしい言葉もあって、忘れることにして、ただお祝いばかりしていた!!

進級した。これは快挙。

進級した。

嬉しすぎる。。。。感動して泣きそう。

受験受かった時とは違う感覚。

というのも、自分が机上で勉強しただけではないからだと思う。

いろんな人たちとのインタラクションの中で積み上げられた点数とそれに比例して成長しているであろう自分。

試験結果のひとつひとつの行に、それぞれの思い出があるーー!

 


授業が始まったばかりの頃は、教授が何言ってるかわからないし、クラスメイトの質問もよくわからないし、人と話すのがもちろん怖くって。ノートとるのすら難しくて、自分だけついていけてないように思えて。もちろんエッセイなんてかけもしない。ネイティブですらひーひーいってるのに、私がこんなところにいるのは場違いだと思った。

人間には限界というものがあって、いくら努力しても無駄な領域が多分なるので、ここで学位を取ろうなんぞ、なにかの間違いだと思った。

 

不安すぎる毎日。日々積み上げてることが正しいのかも分からなくて、何をが積み上がって何になるのかもわからなくて、ただ必死に毎日を歩いているけど、劣等感の連続だし、、、まあ、今でも私が一番バカだと思ってるけど、それは素晴らしい環境。


でも、鬱にならなかったのは、毎日出会う新しいことが楽しくって楽しくって、そしてとクラスメイトが好きすぎていつも楽しくて学びが多くて、ナイスな人ばかりだから。

 


苦しい課題があったときはみんなで辛さを共有して、情報も共有して、何だかんだいいいながら乗り越えて来たし、たった10%のメモやプレゼンに躍起になって。そのプレゼンでも私を助けてくれた人たちがいたなあ。

 


テスト期間中はもう忘れたい記憶だけど、死ぬほど大変だった。あのプレッシャーに追われながら毎日毎日勉強し、ちょっとレストランにいったり酒を飲むのでさえも罪悪感があった。

一緒に勉強してくれた友達、アドバイスをくれまくった先輩、テスト期間中にも楽しく連絡を取り合っていた友達、励まし合いまくりお祝いもした友達。

苦しみを一緒に共有したのが感謝でしかない。

 


彼らと共にもう一年勉強できることが、楽しみで嬉しくて仕方ない!!

早くみんなに会って飲みながら夏の話をしたいなあーーー

 

プロヴァンスにて

今、司馬遼太郎とドナルドキーンの日本人と日本文化というのを読んでて、日本語ってこんなに美しかったっけと思い出してしまい、美しいものに出会った旅行を日本語で書きたいと思い、筆を動かしている。

仲の良いクラスメイトが誘ってくれて、南仏のプロヴァンス地方に旅行をした。フランス語にも、英語で表現できない奥深い言葉がたくさんあるらしい。彼の英語はかなりのハイレベルだから、英語での表現を快適にしているのかと思ったら、そんなことはなかったらしく、フランス語として持っている概念がたくさんあることに気づいた。英語の文書よりも、フランス語や日本語は長くなる、奥深い何か言い回しみたいなのがある、と彼のお母さんが話してくれたことには、納得。日本の良さは伝統と新しいもののバランスにあると言ってくれた。

彼のジョークとか美しい愛情表現は、英語だけれど、フランス語から来ているってのは気づいていたけれど、やっぱり美しい。

 


私は日本の都会の競争社会の中で生き、エリートになりたかったし、体育会という独特の文化の中でストイックに生きてきたように思う。努力をし続れば報われるというような信念を持ち、大都会の喧騒の中で、なんとか息つぎをしながら、走り続けてきたように思う。そんな私を見て、宮澤さんは、ゆっくりゆっくりと言ったものか。

 


プロヴァンスの広大な自然と、葡萄畑、ラベンダー畑、コクリコの花、ロゼワイン、新鮮な空気の中を駆け抜けていると、人生の中で美しいものというのは、別にあるように思える。

 


彼の見せてくれた美しい風景は、どれもうっとりするもので、そこにいる自分が自分でいることを喜びに感じさせてくれる。青い空が向こうまで伸び、緑の山は色を変えて大地を取り囲み、青緑の湖や溜め池がバカンスを楽しむちっぽけな人間を受け入れながら少し波音を立てる。空を染める夕日や、雨の中にかかった虹が、有り難いひと時を私に届ける。

 


南仏のスポーツ、ペタンクpétanqueの熱戦の名残を、真夜中の風が流そうとしているとき、星が見たいと言ったら、あかりを消してくれて、私たちは、外に寝転がり、何も話さず、愛犬と愛猫と戯れながら、星を眺め風の音を聞いた。


家族との時間を大切にし、そんなに話すことはあるだろうかってほど家族と議論をしたり、笑ったり。

友達とは、なんの意味もないじゃれあいや冗談を言って1日を過ごす。

彼がロンドンの喧騒にわざわざやってきた意味を疑うけれど、君と出会った奇跡がこの胸に溢れてる、に結局行き着く。

 


全く違うところで育ち、1つの教室で出会った友達のルーツを辿り、人生の美しさを知る。これ以上のことはありますか。彼の部屋の棚に敷き詰められた漫画と、ワンピースの絵が、私をここに引き寄せてくれたんだと思い、何で日本ファンだと隠していたのよ!と聞くと、隠したことなんてないよ!と照れくささを浮かべる。なんでもない笑いが、幸せだなぁと思う。

ハートから

学期末。センチメンタルになる数十分間も大事だなあと思いながら、ブログを開く。

 

一日中、頭ばかりで考えているから、ハートでつづらないと。

 

今日は幼馴染の結婚式だったのに、日本に帰ることができなかった。帰ったほうがよかったのかな、みたいな、後悔の気持ちはあるけれど、やっぱり、今は仕方がなかった。本当にごめんなさい。悔しくて悔しくて仕方ない。

いろーんな思い出があるけれど、何年も続いていく関係というのは、人間、数少なく、そんな存在があることに、感謝の念でしかない。

どんな道を選んでもたまに会ってお互いのことをすぐにわかり合って応援し合える。人生って素敵だなあと思わせてくれる人がそこにいることの喜び。

 

そんなことに浸りながら、ふと自分のネットのウインドウに目をやると、金融政策、財政政策、gender quata, mechanism of governance,..? 貿易のロマン~

はあ、ばかばかしい、って、意外と思わなかった。

この先に人を幸せにできる方法がある気がしているからかもしれない。

 

成績の10%にしかならないグループプレゼンに躍起になってストレスを抱えて、、、と思いきや、こういうのも面白いな、この人生にとって。って思う。

このグループの人たちのことを知って、信頼を築き、なにより友達になって、あー辛かったね、はははっていって酒を飲めるからだと思う。

こういうタフな課題に対してはね。私は、スマートであると認められること、自分の意見を通すこと、いい点を取ることよりも、なによりも、笑って終わってればいいんじゃねえかって思う。(なめてる)

 

ふううう忙しすぎるけど、素敵でしょ?いつも笑って、魂から行動しよう。

「ボールは丸い」特別編 ~福幸を願うフラッグ~

「ボールは丸い」特別編 ~福幸を願うフラッグ~ by 呉田幸子 | ゲキサカ

 

東日本大震災から3年。部活に追われていたというのも言い訳で、恥ずかしながら震災後一度も被災地に足を運んだことがありませんでした。3年経つと人の関心も徐々に薄れ、切り取られた一部分だけが、テレビに流れる時代です。実際に自分の目で見て、人の話を聞きたいと思い、宮城・南三陸町で行われているプログラムに参加することにしました。これは大学生活でやり残したことでした。

 そこで出会った、「ボールは丸い」ストーリーを1つ紹介したいと思います。

 東日本大震災の大津波によって60%を超える住宅が被災した南三陸町の歌津地区にある、伊里前福幸商店街を訪れました。仮設のお店が10件ほど並ぶ小さな商店街です。商店街は物資、情報、人が集まるという機能を果たします。今まで以上に活気ある地域にしたいと、店主さんたちが私財をなげうって開いた商店街だそうです。

 そこに、Jリーグなどのチームの旗がいくつも掲げられていたのです。

 恥ずかしながらこの商店街のこともその旗のことも知らなかった私は、商店街の方に詳しい話を聞かせてもらおうと思い、お店に入りました。「あれは何ですか」と尋ねると快くお話しして下さいました。

 漁業が盛んなこの歌津地区。船や家と一緒に大切な大漁旗が大津波によって流されてしまいました。

 最初は、他のところから借りてきて掲げていたそうですが、それも結局返さなければならない時期がきました。そこで、何か代わりのものがないかとTwitterなどで呼びかけてみたそうです。

 するとJリーグクラブのサポーターの方が、サッカーフラッグはどうかと言って、持ってきたり送ってくれました。大漁旗のように名前が明記されるだけでなく、復興を願うメッセージ入りです。

 以来、その活動は広がり、全国のチーム、また海外のチームからもフラッグが集まりました。ついにはJリーグ全チームの旗を揃えました。もちろんJリーグの旗だけでなく海外クラブもあるし、通常の大漁旗、野球チームの旗などもあります。

 それが今、伊里前商店街の空を彩っていました。全国から沢山の人の思いが集められたのです。子供たちもそれに大喜びし、この地域の希望の象徴になっているようです。

 Jリーグの力、サッカーの力、それに関わる人達のものすごい力を感じ、圧倒され、空を見上げて立ち尽くす自分がいました。建物が流され、広がってしまった大地と空に、誇らしげになびいていたその旗たちを見て、心が震えました。同時に困難に負けないで生きていく現地の人たちのパワーにも圧倒されました。

 このような力があれば、今回のような災害、更には戦争や民族問題、歴史問題のような人類が抱える問題にも打ち勝っていけるのではないかと、そんな大きなことまで感じました。

 人種差別問題が取り沙汰されている時期でしたから、「サポーターの力は捨てたもんじゃないな」と(偉そうな言い方ですが)、思いました。横断幕やフラッグには良いメッセージも悪いメッセージも込めることができる――たった1枚の布の影響力は図りしれませんね。

 お店も家も被害に遭われ、現在は商店街でスポーツショップをやっていらっしゃるお母さんに、1つ質問をしました。

「生きていくのに必死な状況下で、スポーツや娯楽って本当に必要なのでしょうか。」

 スポーツで人に幸せを、という志を持つ私は、被災地に立ってそのような問いを抱いたからです。
「うん、必要だと思う。」柔らかい東北なまりで、力強く答えて下さったお母さんの言葉は、私の背中をぐっと押しました。
「みんなで一緒にやって笑って、やっぱり心が和むもんね。」

 サッカー少年を息子に持つお母さんが、涙を浮かべながら話してくださったお話は、忘れられません。

 確かに、生きていくのに必要な生活ができるように、行政が動いたり、企業がサポートすることが何より大切です。被災時の状況、3年間に行われてきたこと、現在の問題などを現地で見たり聞いたりして、そう学び実感しました。
 その一方で、ちっぽけな私は、私のできる方法で、こういう人たちを笑顔にできるようになりたいと思いました。そんな強い決意をお土産に商店街を去りました。

 自分にできることからでいい、という言葉を聞き、被災地をあとにしました。少しでも知って下さる人が増えればと思いこの記事を書くことにしました。伊里前復幸商店街のHPなどで詳しい様子を見たり、更には実際に現地に行っていただければ嬉しいです。
風化させずに関心を持って、沢山の人が力を出し合うことが大事だと、情けないことですが3年経った今、思いました。

 東北での出会いに感謝し、私も負けじと頑張っていきたいです。

El alma no tiene color en Cañada Real

Es mi tema de presentación en clase de Español 

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Este fotografía es del periódico EL PAIS, uno de los diarios más leídos en España. Fue tomada en Julio de 2018, en un barrio de Chabola que se llama Cañada Real Galiana, ubicado en suroeste de Madrid. Es considerado el más grande de toda Europa, cuenta con 16 kilómetros de extensión y 6 sectores. Está a sólo 20 minutos de distancia en automóvil de la capital. Sin embargo, a pesar de la cercanía, el ambiente y la vibra que se sienten son muy diferentes a los de la metrópoli.

Elegí este retrato porque mientras trabajaba para una organización no gubernamental en Madrid, participé en un proyecto deportivo en el barrio. La asociación de futbol europea y algunas empresas privadas donaron dinero para la construcción de un campo de futbol de césped artificial; una de mis labores era ayudar a organizar eventos para niños y niñas.

En esta foto, podemos ver la frase “lo siento” pintada con letras blancas sobre una pared amarilla. Pertenece a un extracto de la canción “El alma no tiene color”, compuesta por Antonio Fernández Remache e interpretada por los hermanos Carmona. Fragmentos de la letra están escritos sobre los muros de 61 viviendas de Cañada Real. Cada uno de los sectores está pintado de tonalidades que van del rojo al azul y si se recorre la calle principal, además de leer la letra de canción en su totalidad, se puede apreciar como el color va degradándose hasta convertirse en el otro conforme se avanza de sector a sector.

Esta idea es parte del Proyecto de Intervención Comunitaria Intercultural (Proyecto ICI), impulsado por Obra Social La Caixa en colaboración con la Comunidad y el Ayuntamiento de Madrid, y esta formado por el colectivo de artistas urbanos Boa Mistura. El Proyecto ICI se desarrolla en 37 barrios de toda España que cuentan con un alto grado de diversidad cultural y desigualdades socioeconómicas. Su objetivo es fomentar la convivencia y generar relaciones colaborativas y solidarias entre las administraciones, la ciudanía y las personas que trabajan allí.

 La meta del proyecto “El alma no tiene color” es mostrar el potencial que la diversidad cultural tiene como motor de cambio social. En Cañada Real conviven 8,000 personas de 17 nacionalidades. Esta canción es muy importante porque refleja la diversidad, diferencia y libertad en un mundo en el que todos caben. Así como los ideales que la gente de La Cañada quieren proyectar hacia el mundo: alma, tierra, rabia, corazón y la identidad de este lugar.

En mi experiencia conviviendo con los habitantes de Cañada Real, sentí que están llenos de energía y de mucho potencial. Y aunque la calidad de vida no es la mejor, ellos hacen su máximo esfuerzo por vivir felices. Por ello, proyectos como este son muy importantes: necesitamos ofrecer más oportunidades de educación y salud para que la gente tenga buena calidad de vida. Y la sensibilización a través de las actividades del arte y del deporte son muy importantes para lograrlo.

OUTPUT

ここ最近のテーマは、アウトプット、発信すること。

今日はそのとどめを刺されたような日だった。

 

英語での授業が全身で受け止められるようになった。耳で聞いているだけではなくって、その空気感とか温度感と共に、発信者の伝えたいことを受け止める。それは、結構労力を使う作業であって、一日一日全力で授業を受けていたら、本当に疲労困憊する。

 

セミナーで発言は全然できないし、そもそも英語で文章を作って発言することすら怖いと思う様になってしまっていた。まあ、飲み会の時はしゃべれるんだけど。。飲み会でできることが昼間できないのは、ポテンシャルの問題ではなく、覆いかぶさっている勇気のなさとか神経の問題だったので、自信を持って克服しなきゃと思いつめていた。

先週は、授業でやっぱり何も言えなかった自分を責め、結構憂鬱になっていたけど、今週、もう背水の陣だからね、くらいの勢いで、頑張った。

政治学セミナーでは、リーディングの説明ができたし、マネジメントでは、プレゼンをした。やればできる。プレゼンを友達が普通にほめてくれて、すごく嬉しかった。。あのアメリカ人たちは、優しく見てくれている、よね。。はは。

 

そして、今日、ロータリースカラーの心の友、メロディちゃんがTEDトークをするというので、観に行った。ああ、こんなに刺激をうけることもなかなか日常ではないなと圧倒されてしまった。普段は見せない彼女の、心から伝わる、「音楽で国境を超える」というテーマ。こんな英語うまかったっけ。18分間のスピーチを、全部覚えたんだろうな。という感激。彼女のユニークな経験は、人を惹きつけていた。

じゃあ、私にもあるじゃないか。

最近、なんか、つながるというか、スポーツで社会を変える、ということが、意外と人にしっくりきて、話すと面白いことが返ってくるなと、思っていた。ぶつけなきゃ。

ボスニア、スペインのスラム街、ザンビア、ドノスティカップFIFAの大会。などなどなどなど。

ということで、バルカン半島EUの授業を聴講することにしました。

アウトプット。特にスピーキング。ライティングも良いけど。

吸収したこと、理解したことを言えるようにならないと、って思っている今日この頃でした。