サンホセの週末
新しい家に引っ越してからの2回目の週末はなんだかすごくハッピー。
朝晴れれているからかな。バルコニーの窓を全開にして、街を見渡すのが最高。
もう3週間ちょっとが経って、友達0人。
ボスと同僚が良い人すぎるので、寂しさはなく過ごせている。
信頼のできる/すべき人が楽しい人だったことがラッキーだと思う。
こんなにありがたいことはない。
そして、いろんな人が友達を紹介してくれる。
最近新しい人に出会う、とかないから、明るくふるまえるかな。ドキドキ。
MPAの時は、毎回飲み会に出かけて、新しい人と出会って仲良くなるって体力あるなって振り返ってふとびっくりしたわ。
ここはお役所だし、私は政府の人として来ているので、身動きがとりづらいなあと思うことはある。
欧州系の民間企業に勤めて、長い夏休みを取る、みたいな生活にはまだ程遠いかな。
仕事は面白いし、やればやるだけ面白くなり、自分でやりたいことをやっていけるので、グッド。
変なプレッシャーもストレスもない。自分次第。1日に何件か、集中して学び、事を動かせば自分的にハッピー。
仕事というより、ライフをどうしていくか、自分探しって人は笑うけど、こういうことだと思う。
若い頃よりも、自分はこれがないと生活できない、みたいなものが多くなっていることに気づく。それが年を取ることだと思う。
けど、できるだけ、これがなくてもいいんじゃないかとか、新しいものを取り入れること、常識を疑うというか、順応するというか、柔軟に生きたいと思うこの頃。
あとCLとか見てて、中南米もヨーロッパにあこがれている感じがわかり、ヨーロッパってやっぱりきれいだよなあと思って、先進国に恋い焦がれるというのも、貴重な感動。
ぐっすり寝て、美味しいもの発見して、今日も仕事面白かった、と思えれば、今プラビダ。
それがプラビダなのかもしれん。
もう少し自分プロデュースして、前に出て行ってもよいけどなあー。
読書、勉強、もっとしよっと。
20代のうちに、ラテンアメリカに滑り込んだ私の物語は続きます。
コスタリカに旅立つ
初めて海外の仕事
仕事頑張らなきゃという気持ち
それ以上に新しい国から色々学びたいと思う。
荷造りやら手続きやら色々疲れたけど、それが不安だったけど、
なんで行くのだろう?とか思わない。
人は、私のことをすごいという。夢に向かって頑張っていて尊敬するという。でもそういうかっこいいのではなく、不適合者だったから日本にいるのが少し窮屈になったのと、好奇心きちがいだから何か刺激や困難がないと満足できない。
これになりたい、こんな夢がある!とか特になく、世界に貢献したい!とか大それたことも言えるわけもなく、所詮私のちっぽけな力だと何もできないんだから、友達を作って楽しく、毎日面白い日を過ごしたいと思う。せっかくもらった人生を豊かに、ね。
大好きな家族とか友達と別れるのはもちろん寂しいけど、
私は家族がすごい好き。仲良くて最高だと思う。愛してくれて本当にありがとう。
応援してくれて見送ってくれる友達も、本当に好き。この年齢になってディープさが増してきて、何があっても受け止めてくれるような友達を持っていることがとてつもなく素敵だと思う。
スペインのペラペラになって
現地の人にも本部の人にも信頼される、
アクティブで楽しい人になりたい。
20代のうちに外に出れたのは最高!早い!まだまだ若い!
飛行機の中で、Cクラスに慣れなくて全然リラックスできなかったが、ディズニー映画ソウルを見て、人生って美しいと思って泣いてる。特に私の人生はめちゃ最高。
全ての瞬間を楽しむ的な終わりが好きだったなあ。
バイアス
日本で、バイアスのかかりまくったニュースや価値観に会うことが多い。
帰国して1か月半で、コロナのせいもあり、一人で家で過ごす日も多く、自分にしては外との交流が少ないはずなのに。
香港の周さんのニュースだって、詳しくは知らないけれど、彼女はアニメ好きで日本語が話せるから日本で取り扱い始めたんじゃないのかな。中国が作った法律で逮捕されちゃった、かわいそう、というストーリーは確かに面白い。でも他にも民主化を叫んで体を張っている人はいるんじゃないかな。
一番伝えたかったのは、ベイルートでの爆発の話。
私の大切な人がレバノン人で、事故の1週間ほど前からベイルートにいた。爆発が起きた時、私の近しい友達は連絡をくれて、大丈夫?と聞いてくれた。幸いにも、彼と家族と友人は無事。あの時、爆発のあった場所の近くにいたら、と思うと、本当に生きていてくれたことが嬉しくて仕方なかった。今すぐではないけれど、またいつかこの世で会える機会を残ったことが贅沢で仕方ないと思った。
その後、好きだった街は粉々になり、何千人が家を失い、もともと悪かった経済は悪化、食糧を探すのも難しい、外に出ればデモなどの暴力の危険に遭う。
日本人にとっては、レバノンなんて、ゴーンの逃げた場所、ゴーンを匿った最悪な国。そう思うのも当たり前。そう思うのが悪いなんて一ミリも思いません。正直、あの国は、複雑すぎて、一体全体誰を責めればいいのかもわかりません。
爆発が起きたのね、動画やべー、こわっ。ってただそれだけの反応なのは当たり前。私だってこれがレバノンじゃなくて知らない国だったら、その程度だと思う。日本の船が座礁してモーリシャスの環境破壊をしていることだって、私はよくわからない。当事者にとっては大事件、他の人にとっては他人の庭の話になってしまう。
私は今、少し世界に首を突っ込んでしまったが故の、葛藤と苦しさを感じている。(別に病んでいるわけではないよ、成長の過程だと思っている。)そこが他人の庭なのか、自分の庭なのかがわからなくて、苦しくなることが多い。9000km離れたアジアの逆端にいる私が、レバノンにできることなんて、何もない。心配するだけ、心のエネルギーの無駄遣い、というのはとてもロジカルな考え方。
人間は、周りの環境や自分によって決められた範囲の中で生きている。家族や友達の輪、ビジネスをやっているならその地域とかそれは人によって様々である。私はロンドンでの留学や(ラテン)アメリカでのインターンを経て、本当に多種多様な人に会って、世界市民として生きようと決めたばかりだった。
でも、日本は、あまりにも閉ざされているように、感じた。今、家族も近くにいる、大好きな友達にもすぐに会える。何が悪い?でも、世界で悲惨な目にあった人が気になってしまう。その為に、もっと他に寛容でオープンなマインドセットを保ち続けたいと思っている。何かの勢力に加担するのではなく、何かの思想ではなく、ただ、困っている人間を助けなければならないという気持ち。幸い、世界にはそういう中立的に活動しているNGOなどがいる。
私は今回初めて、こういう世界的な事件に対して寄付をした。別に収入があるわけじゃないから、ほんの少しだけ。彼を生き残してくれたベイルートに対する感謝とか、償いとか、願いのような気持ちのわずかなポンド。現代のデジタル技術を利用して、お金を送るくらいしか、私にはできることがなかったから。
寄付するのが偉いと思わない。誰かに強制もしたくない。でも、もし、お金が少し余っていたりして、世界中につらい思いをしている人がいるということを考える機会があるなら、教えてほしい、それだけ。日本で何不自由なく、身の危険を感じることもなく暮らしている人が、もしそう思った時の機会を失ってほしくはないと思う。なんとなく、そう思った時のその少しの気持ちが、日本を変えられる気もしているから。
自分の葛藤を記録。何かがおかしい2020年、私は自分ための勉強をして、夏は仕事もないので、何にも世界に貢献していない。決意を秘めた、ゴミくず。
年の瀬に勉強しまくるの二年目
クリスマスイブとクリスマスは、相当晴れていた。天気が良すぎた。
それから一転して、今日のボクシングデーという日は、どんよりとしていて、楽しかった休日から現実に戻してくれる。こういう演出、本当にいらない。
勉強というのはどこまで行っても終焉がなくって、”自分のメインのこと”(仕事だったり、勉強だったり、時間を一番費やし、自己紹介の時に言うワード)に対してどれだけ時間を費やしているかというと問うと、世界レベルだと思う。あーーーあと半年半年。ひもじい生活も半年。少しくらい贅沢すればいいじゃない、の少しくらいの加減が近しい人間と違うときつい。
別に病んでいるわけではないけれど、記録として、このきつすぎる最高な勉強生活で考えていることを今後のために書いておきます。
日々の思考回路はだいたい決まっているようなもので、ああ勉強しなきゃ、時間を無駄にしたくない、とか、いいなあ、なんの罪悪感もなく道を歩いている人は、、という感じ。
家族と家でパーティーをして、何にも考えないで一日が終わるような日々が羨ましすぎる。毎日何かに追われて、何かのプレッシャーが降っていて、もう慣れたけど、やっぱりきっついなーーこの緊張感!あと、貧乏なので、何を買うか、何を食べるかを1£単位で考える。好きなものを好きに買えない。。
毎日が自分のために与えられている今、どうやって毎日を生産的に、楽しく過ごすかということにとてもストイックだと思う。勉強ばかりしていては、人間の魅力が落ちてしまうし、自分の思考が凝り固まってしまうのが本当に嫌だから。
1.外を歩くこと。一日最低30分以上は歩く。特に違う道を歩くと、全然違った発見があるし、新しいアイディアが浮かんでくる。あと、自分が何にとらわれているかに気付くことができる。(ヨガとか瞑想と同じ原理)
2.日本の友達や家族と話す。人に話を聞いてもらうことは何よりも大事。あと、日本語の練習(笑)。今、自分の言語能力が変遷期を迎えていて、なんの言語もきれいに話せない。言葉を作る能力をキープしないと、やべえ。(というのもあって、ピアノかサックスで表現をするというアイディアに至ってしまった。)
3.あまり近しくない人と会う。あまり接点のない友達やメンターやOB訪問的な仕事の話をお聞きしたいです、的なやつをやると、締まる。その人と会うために、準備をするというのがモチベーションになって、勉強する。その時の会話での対応の仕方、自分の話と相手の話の割合はどのくらいにするかとか、その人と話すために、予備知識をつけていくとかの練習。
4.関係ないことをする。料理とか。
5.SNSやオンラインに頼りすぎないものの、急に世界のどこかの誰かに連絡してみて、全く違う刺激を得る。
6.たまる。一緒にぶつぶつ言いながらそばで勉強してくれる心の友たちに感謝。。。
などなど、、という自分のことをたっぷり考えぬいた生活スタイルができるのも、あと半年?
2年目の1学期の真ん中で
もう寒さが本格的になったロンドンの日曜日の昼下がり。1分ごとに変わる空模様を窓から見ながら、自分の時間を満喫している。もう既に、2年目の1学期が折り返しを迎えた。
時が過ぎるのは早いもので、ドキドキしながら渡英してから1年以上が経過。今までの人生とは全く違った環境で、厳しいプレッシャーに揉まれながら、でも毎日が夢の中にいるようだと感じていた日々が、矢のように過ぎたなあと思う。
今も、もちろん、夢のような日々を過ごしているなあ、幸せだと思う。けど、その色が変わってきたように思える。
ロンドンでの周りの人間関係が固まり、この生活も1年以内に終わってしまうと考えると、現実感を帯びてくるというか、これからどうしていくんだ、という漠然とした問いが毎日のように現れるのは自然だ。そういう話になると、やっぱりシビアに真剣に考えちゃうから。誰と、どこで、何をしながら、どんな生活をしたいかね。
学校はというと、得体の知れた、気の知れた80人くらいの仲間と、すでに確立された関係の中で、今年はもっとそれぞれのやりたいことを出していく、というフェーズに来ている。まあ、少しずつ変わっていく人間模様の渦は結構面白いのだけど。グループが一緒になったり、なんか知らないけど夏に近しくなった友達とか、ちょっと変わった人とか。誰が仲いいとか嫌いとか、デートしてるとかなんだか、人間がこんだけいたら、お盛んだわ。ここでの自分というキャラクターも既に定着してきているので、楽、というか、もともとこの多様性にあふれた環境にいると、誰かに合わせたり、常識に合わせたりする必要もない。むしろユニークさをどこまで伸ばせるかというレースのようにも思う。学部の中に、本当に日本人が1人しかいないので、厳しいことばかりだが、そういうナショナリティー的な価値基準は薄いほうなので、寂しいーキツいーってネタで言ってるだけで、これに関して超真剣に悩んだことはない。日本人女性で、政策勉強してて、スポーツが好きで、酒飲みで、スペインとスペイン語とラテンが好きで、音楽を演奏して、とかいうと、どんどん絞られてくるでしょう、世界の中で。ボートパーティなるもので、究極に酔っぱらったら、みんながあきれながら助けてくれました。
親しくなった仲間にもそうだし、新しい出会いに対してもそうだし、開かれた心で、まだまだ吸収できるかがカギとなるのは確かですね。みんなナイスに見えても、人の意見を聞かない人はいるし、ここまで行くとどんどん人の基準が上がっていくものだと恐ろしく感じる。世界基準で行くと、すごいやつらばかりだから。みんな本当に本当に頭よくって、外に出ると、あ、全然余裕だと思うことがある。劣等生気味のポジションにいることって、とっても大切。とくにMなので。仕事のやり方とか、コミュニケーションの取り方って、もう絶対奇想天外なことが返ってくるので、相手のを予想するだけ無駄なので、リスペクトだけして、あとは自分の都合で行くようにしている。
あと、授業が日本語だったら、超簡単で一番理解できていたかもしれない、と思う瞬間がある。でも、こういう話が日本語で行われることは、世界の中で一切ない、(つまり究極的にいうと、その学問は英語話者によって確立されているから、日本語での概念がない)という状況に置かれるとなると、仕方ない。英語が共通語なのは仕方ない。し、コロンビアのプロジェクトで使う資料がスペイン語なのも仕方ない、というか当たり前。だったら、日本語ネイティブに生まれた自分は大きなディスアドバンテージをもっている!この側面だけ見た場合。となると、ラテン語話者(アルファベットみたいなのを使って、同じような文法)はまだしも、純日本人や純アジア人が世界のリーダーになることは不可能である!という論理になる。
けど、そう思わない。そこじゃないから。言語じゃないし、専門分野の理解度でもない。人間なんだろうと思う。
さっき、新海誠さんの記事を読んだけど、すべてタイミングだって。ここに来たことだってそうだし、DCで夏を過ごしたのもそうだし、いまだにご縁があってつながりのある方々って珍しくて感謝でしょう。
自分に足りないのは遊びの部分だとも思う。リラックスとかオンオフの切り替えとか、廃人になるときとか、これは究極に難しい。トリビア的なやつとか、無駄な知識とか、文化とか。スポーツは熱狂的なんですが。
毎週のように、学校が勉強系とかキャリア系のイベントを企画し、誰かしらがパーティーを企画し、もう激しい、忙しい。
授業は1週間で合計9時間しかありません。+フランス語2時間。なのに、ずーっと勉強してる。非生産的な時間が許されなくなっている。非生産的な時間という生産的な時間に定義しなければ気が済まなくなるくらい、ああ、また人生に急いでいるのでしょうか。いやいや、こういう時期なんだから仕方ない。
授業のパッケージはというと、かなり考えたおかげで、完璧に互いの授業がリンクしあって面白い。あーこの理論これの実践につかえる!とかこの地域だとこう違うんだ、とか、ワクワクする!
脳みそがパンパンで、毎日爆発しそうで、PCばかり見つめていては人間がおかしくなるよね、と思ってきたので、こうして日本語を書いて、今から外に出かけようか。出かけたら、雨が降って、すぐ暗くなるんだろうな。心とか感性とか本能とか、毎日生き生きとさせていきたい。
楽しくて激しい毎日の記録でした。
2年目の計画中
1年目に何を勉強したのかと聞かれると、2年目に何をしなければならないかわかるので、書き留めてみる。今、コース選びしてるから。
1年目は、大まかにパブリックポリシーの基礎的なことを勉強した。コースのデザインとして、政治システムは腐敗する、マーケットは崩壊する、では、自分できちんと調べて根拠に基づいた政策を作りましょう。というメッセージがあったらしい。
さて、その政策ですが、国レベルなのか、行政のレベルなのか、はたまた国際関係のレベルなのか。分野は、保健なのか教育なのか、経済政策か福祉か開発か、なんなのか。このいろいろな分野の人がいるからMPAは面白い。じゃあ、自分がどのツールや武器をつかって政策を作れるのか、分析できるのかー法律なのかマクロ経済的な分析なのか、エコノメトリクスを極めるのか、それとももっと実践的なマネジメント的な世界なのかスペシャリストなのか。これを磨こうというのが2年目の使命である。
1年目でキャリアチェンジ、ということを念頭において、パブリックポリシーがなんなのか、社会の利益を最大化する為に生きるのだ!的なスタンスはできあがった気がするので、じゃあ、あなたは世界に対して何をするのか?といったようなことを勉強しようという流れだと思う。
じゃあ、私はなんですかというと、志望動機書に書いたことに戻ってしまうー。1年目は幅を広げすぎて、OECDのリサーチから貿易政策でWTOに行ったり、インターンは気候変動や都市計画というありさまだから、ぶっれぶっれにも程があるという批判を自分自身から一番浴びているのですが、スポーツが心を揺らすことを思い出さされてしまった、この夏、アメリカで、、というのが本当のところである。
スポーツフォーピースあはは。みたいな、浮き足だって聞こえるテーマが少し嫌だったのもあったけれど、世界は人間の安全保障をすこし飛び出るあたりのフェーズに着目しているのであって、これがこれからうまくかみ合うと面白いと思うし、スポーツ界でちゃんとこっちの勉強している人が、あんまり出会わないから、世界を見渡してもあんまりいないんだと、思う。私があんまり主張してないからあんまり現れなかったのかな。スポーツ色押していこっと。
これを話していていつも思うのは、問題がわからない。文書で、どこどこで移民が増えてだれだれのビジネスが奪われて経済が混乱しているから、お金を貸してこういうプロジェクトをやらないといけない、というのを読むけど、その、どこどこのだれだれは、本当に困っているのかが見えないし、何が本当に欲しいかわからない。きゃー致命的。本当はそこに行きたい。
私のアプローチというと、逆だったのかもしれない。この夏、ヘッドクオーターで勉強させてもらったことが多いから、いくら困ってる人がそこにいたって、キレイなオフィスでヒールつかつかしてネクタイつけてる人の間で行われている交渉は必ずしもそのニーズにはあっていないのよ、って言われたような気がしている。けれども結局お金を回すみたいなことは、理に適っているし、みんなが大好きな”サステイナブル”にはとっても大切なことなんだと思う。けれどお金に色があるのは事実ですね。
その末端ユーザーのことを勉強したい、と思ったけど、それってこのいわゆるエリート学校でできるのか?!じゃあここにあるリソースというのは、いろんな国から国の問題を抱えた(どれくらい肌で感じているかはまったくの別問題)生徒たちが来ているので、それについて一緒に考えること、と、セオリーとか分析の仕方を身に付けること、とあと学校の名前を借りて色々することと・・・
以上、勉強する方の目標でした!!
インプットとアウトプット!!
アメリカでの夏
お導きとは本当に面白いもので、このインターンに受かったのも、なんだか不思議だなあと思う。振り返ってみれば、ひと夏の思い出、のような、別空間で起こった、ある種夢の中の出来事、だったような気がするけど、現実に繋げていかなければいけないなと思って、筆を執ることにした。
かねてよりキャリアの相談をしているさかえさんにアドバイスをもらい、インターンに応募した。最初の面接は落ちてしまったけど、とっても楽しくって、フィーリングが合っている感じがした。それから急に人事から電話がきて、他の部署に招聘され、面接に合格した。ラテンアメリカの開発?!開発銀行?!気候変動?!ワシントンDC?!だなんて心が追い付かない感じであったけど、いけるところまで行こうというのがモットーなので、受けることにした。ビザや航空券を取ったり、部屋を決めるのは相当めんどくさかったが、まあなんとかなった。
旅立つ日に、チームがランチを企画してくれて、
このボスとの出会いはきっと人生の中で大きな衝撃で、
ジセは完全に母親のようになっていて、なんでも話せる。
周りにいた同僚もいい人しかいなくて、マージーでびっくり。
インターン生のみんな。知れば知るほど面白くっていいヤツたち。
人に出会えたIDB。仕事というのは同僚が大切。
そして会社が世界に対して何をしているか。
気を遣えるのは私の一番の強み。アネットが言ってくれた、
そして、スポーツを極めようと決心した。ここ1年でいろーーんな
テクニカルスキルを身につけてることにだいぶモチベーションが上
住む場所って結構大切で、
そんなわけで、これからどう生きていきたいかというのを考える、とってもとっても素晴らしい機会だった。