HIROSHIMA 平和とはなにか
世界に出る前に、絶対に知りたかった広島。
あんなに日本全国を飛び回る仕事をしていたのに、タイミングがなくて、行ったことがなかった。今年の初め頃から絶対に行きたいという想いが募って、一緒に旅行しようと話していた親友と、行くことにした。
今、初めて出会った広島は、心に残り、これからの人生にも響き渡っていきそうだ。
曇りがかってどんよりとした昼下がりに、原爆ドームと平和祈念公園を訪れた。
写真で何度も見た原爆ドームが、自分だけの角度で目に焼きつき、自分の肌が周りの空気感を感じ取った。
説明が書いてあるボードの隣に、ボランティアガイドさんがいたので、話しかけて(ナンパして)、1時間のプチツアーをしていただいた。
私たち3人は知らない人に話しかけ、仲良くなってしまうのが得意技で、何より、好奇心旺盛で、人間と人間の生身の触れ合いを重視する。
現地の人に触れる旅でなければ旅ではない。
最近ボランティアガイドを始めたという枡田さんにいろんなことを教わった。
爆心地近くにいるお地蔵様は、爆心地の方向はザラザラになっていて、影に隠れているところはツルツルの大理石のまま。
爆心地にある病院は、被爆した時間の8:15から開院することにしている。
原爆ドームの反対側にも、骨格が残った燃料会館(現レストハウス)があり、地下にいた1人だけが生存したという。
そんな話を聞けば聞くほど、あの日は、人類にとって、未体験で不可解で残酷な日だったということを実感する。
「今まで僕が話したのは勉強したことですが、いろんな説があったり、人によって違うことを言っている事柄が多いんです。実は、私の祖父母も、被爆者なんです。おじいちゃんは、あんまり話したがらないんですよ。」
学び、伝え続けることの大切さと責任を彼から感じ取った。
祈念公園内の供養塔、平和の鐘、慰霊碑などを回った後、史料館へ。
史料館の3階の常設展示の入り口は、戦前の広島の上空からの写真が全面を覆っていた。賑やかで落ち着いていて、その屋根や道を見るだけで、なんとなく、幸せに暮らしている人々が想像できた。
その奥に進むと、あの悲惨な日の後の姿の写真に変わった。
戦時中とはいえ、誰もが想像しえなかった。一瞬にして、体が焼け、吹き飛び、隣にいた友達や家族と離れ離れになってしまう。あの空間に立ち尽くす自分がいた。
史料館では、被爆者伝承講話を聞きに行った。午前中にお好み焼きを楽しみすぎてしまい、日本語の時間に間に合わなかったので、英語の会に参加した。
語り手の方が英語で40分ほど、被爆者から生で聞いた話を、物語口調で話すというもの。決して、ネイティブやAIが発するような、発音のいい英語ではなかった。今の時代、テクノロジーの力を借りて、いくらでもあらゆる言語に翻訳することはできる。
しかし、こうやって、生の声で、心や魂から伝えることに意味があると思った。講話が終わって、語り手の松田さんにお話を聞くと、その為に日々葛藤をしていることがわかった。
「英語が伝わってないとか、君の話は偉そうだとか、女性目線の話が男性にはわからない、とか色んな指摘をされるんです。でもこうやってちゃんと聞いてくれる方もいます。どう伝えるか日々もがきながらやってるんですよ〜。皆さん頑張ってね。こんな若い素敵な女性達に出会えて嬉しい。」
毎日毎日、ここにきた何人かの外国人達に、被爆者の言葉を伝え続ける。60歳を超えてるようには見えない、溢れ出るパワーや明るさが魅力的だった。
毎年8月6日に式典が行われる慰霊碑にある言葉。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」
その公式な英訳は、
Let all the souls here rest in peace, for we shall not repeat the evil.
"we"とは、誰のことか、という議論があるという。
あの日、過ちを犯したのは、ひと握りの人なのかもしれない。それが誰なのかという問いに対しては様々な意見がある。
でも、次の過ちを犯さないべきなのは世界市民全員だと、私は思う。
平和とはなんですか?
旅の途中で、会った方に聞いてみた。
いじめのない世界。
皆が話し合って誤解なく同じ方向を向けること。
スポーツができる世界。
日常。
笑顔でいられること。
戦争状態でないこと。
私は、"寛容" だと思った。
隣人を少し受け入れるだけで世界は幸せになって行くと思う。
そんなことを考えて歩いていたら、平和の鐘に、"自己を知れ" と刻まれているのを見つけた。どうも、気になってしょうがない。
他者を思うこと、それ以上に、それ以前に、己を知ることが、平和なのかもしれないと。
平成最後の夏。
30年前の日本人の願いは、どれくらい叶っているだろうか。
平成が終わっても、平和が成り続けますように。
悲しみと強さを持った、稀有で不思議で美しいこの国から、私は世界に出て頑張ってみようと思う。