ボールは丸い

少し、旅をしています♪ 直感と好奇心とお酒と世界中の友達と

ディスカッションで、プレゼンで、鞭うたれては、立ち上がる

セミナーでは、ディスカッション、プレゼンの機会がありますが、日本語でもちゃんとやったことないのに、、、と思いながら、日々チャレンジしております。

 

自分のいろんな引き出しを使って考えをまとめる。それを相手の分かる形で伝える。相手の意見を聞く。グループの意見をまとめる。発表できるように整理する。相手に伝わるように発表する。知らないことがあったら、また引き出しを作る。

 

そんなプロセス、知ってる!!けど、実際に厳しくやってみると、できないことばかり。こうした方がよかったなあ、ということばかり。知識がなかったのか、伝える力がなかったのか、理解力がなかったのか?という反省を繰り返す。

 

これができるようになれば、一流のビジネスマンになれるから、いい機会だよ、と尊敬する人に言われたことがあるので、この機会を大切にして一流になってやる。

 

内容が整理されている、というか、いわゆるその授業の中での正解を知っている教授と議論するのは比較的簡単だけど、他の生徒とディスカッションする方が難しい。知っている新しい概念を乱射してきたり、立派なことを言っていると見せかけてそうでもないこともあるし、まず独特の発音過ぎてわからねえ、、ということもある。その授業での正解を探すのはある意味日本人の得意技かもしれない。私もプレゼンでは、先生の言ってたことと関連させて発表すれば点数上がるかな?的な発想になる。ああ、日本の優等生教育の結晶。うーん、でも、ゴールというか正解、結論を出さなければいけないのだから、その発想は理に適っていると思う。その反面、考えの幅を制限してしまっているのかもしれないけど。

 

授業でトピックがおおざっぱだった時、自由な討論というか、政治的雑談をして終わるのは、授業として崩壊しているが、実際、まあ、面白い。この前の政治学のディスカッションのテーマは、「次のアメリ中間選挙はどうなるか」。その問いを見た瞬間、生徒の約半分(予想)は、I dont care about USといって思考を停止してしまっただろうし、授業でアメリカ人が「私の州はなになに党が~」みたいな話をするだけの、意味のない時間になった。アメリカの選挙が直前だからたまたまアメリカを例にしたらしいけど、だったらデモクラッツとリバプリカンの説明省くのはアメリカファーストのバイアスかかりすぎじゃない?

 

色んな人としゃべってると、出身地、専門、前職、趣味、に加えて政治的好みが直接的や間接的に伝わってくる。

 

ある教授は、日本が、世界で唯一機能している社会主義国家、という考えに賛成しているかと思うくらい、日本に対する面白い考え持っていそうな人で、「この考えから行くと、日本はデモクラシーじゃないけどね」と授業の最後にちらっとつぶやくと、10人以上の同級生が、にやけながらorほほえみながら私の方を見てきた(ある人はアベとジミントウとかささやいてきた)ので、変顔して返してやった。というのは、面白かった。

 

そんなこんなで、今日、5分間のプレゼンをしたのだが、(南スーダンについて)、教授からテクニカル的にも内容的にもフィードバックを貰えて、すごくためになった。

英語に関しては、気にしなくていい!というか、その日本人的な、申し訳なさそうな(apologetic)感じはやめなさい!君はアメイジングスピーカーに近いよ!(それは盛り杉)ということで、君が思っているほど英語はひどくないし、と言われた。

ちゃんと振り返ってみると、5分間の中で複雑すぎる(カオスすぎる)この国の政治的失墜を伝えるには、Question、Answer、Why? だけのシンプルな構成で良くて、後から考えてみると、その通りだ、と思う。

 

こういう機会がすごい面白い。集中力がない人間なので、苦労しているけど、頑張ってリーディングもしよっとーーー。

知らないことを知る、できないことができるようになるというのは、人間の喜びであるううう!と実感。